青田買いか知らんけど

諸事情はあるのでしょうが、先月の『オーバー・ザ・ホライズン』や今回の例など、実力が足りていないとしか思えないイラストレーターの起用には、疑問視せざるを得ません。今回珍しく辛口気味なんで普段はしないような特殊処理を。
特別な他意があるわけではなくて、続けて読んだ2作の差があったためにこんなこと書き始めたわけですが、
とりあえず『想いはいつも線香花火(以下、想い)』と『GOSICK3(以下、ゴシック)*1』のイラストを見比べてみたいと思います。
ゴシックは、まだ本編をほとんど読んでない状態だけどイラストだけ通してみると「枠の使い方上手いなあ」と。一枚絵なのに動きがあるのは枠の存在が大きいことがわかります。それに対して想いの方はマンガ的表現が目に付きます。集中線とかコマ割とかふきだしとか。
まあこの場合、良い悪いは好みの部分もあるでしょうけど、背景の描き込み具合の差は如何ともしがたい。
想いの方は神社と高校を主な舞台にした作品ですが、背景のみで場所を特定できるのは口絵の1ページの1コマ目、鳥居が描かれているシーンのみで、後はキャラクターの服装から判断するしかありません。数えてみたところ挿絵7枚中、背景無しが5枚。残る2枚も石の階段と石畳(神社って言われなければわからないもの)でした。
対してゴシックのほうは本文を読まなくても街中や駅や馬車内などの場所の特定が可能です。そして、この「絵のみで場所が特定できる」というのは出来て当たり前のレベルであって欲しい。
つまり、未だ商業レベルに達していないイラストレーターを起用するのはどうかと、そういうことが言いたい訳です。
絵の持つ情報量は文章にして何ページ分にも当たるもので、一般的なライトノベルの最大の強みはこのイラストの存在だと踏んでいます。そのイラストが弱点になってしまってはいただけない。
特に電撃の場合、ビジュアル面へのアプローチの巧さも魅力の一つなのだから、発掘したての新人絵師はhpのヴィジュアル・ウェポンでバシバシ鍛えてから実践投入して欲しい。*2
イラストは文章と互助関係にあるべきで、その関係から外れている場合酷評されたりするわけです。曰く「(作品名)は(絵師名)の絵を楽しむためのもの」とかそういったことですね。逆の場合は巻を重ねるごとにイラストの位置が挿絵から章扉のみ、ついには表紙と口絵のみといったように追いやられていきます(笑)。
今回も、悪いとは言わないけど拙いのでどうにかできんかなあ、と、ここまで長々書いて愚痴で締めて終わりとしてみんとす。最悪だね。

*1:ISBN:4829162732

*2:コーナー名確認のために適当にhpの30号を手に取ったら「ゆい」氏が載せてたりしたわけですが(笑)。まあ、このイラストも背景甘いんですけど。